上野公園の正式名称は「上野恩賜公園」。宮内庁から東京都が譲り受けた公園であるため「恩賜」が付いています。
この広大な公園の敷地はもともと寛永寺の土地でしたが、幕末に起きた新政府軍対幕府軍の上野戦争によりこの界隈は焼け野原と化し、その後現在の公園になったそうです。
上野公園の南側入口から入ってすぐ左側に、ズラッと手形が並んでいます。
これは国民栄誉賞受賞者の手形だそうで、王貞治や渥美清など錚々たる人物の手形が並んでいますが、場所的には意外と目立たないところにあります(笑)
公園南側の入口から階段を上ったところに、今や上野を象徴するスポットとなった、愛犬・ツンを連れた西郷隆盛像があります。
この銅像は、西南戦争により賊軍となった西郷隆盛が、1889年の大日本帝国憲法発布に伴う大赦により汚名が解かれたのをきっかけに、薩摩藩出身者ら有志により1898年に建てられました。
この西郷さんの銅像は高村光雲により造られたそうですが、その顔が似ているかどうかには賛否両論あるそうです。
西郷隆盛像の近くにある彰義隊の墓。彰義隊はもともと江戸の治安を維持するために結成されましたが、幕末の上野戦争時に幕府軍として当時ここにあった寛永寺に立てこもり、大村益次郎率いる新政府軍と戦って敗れ、ここにその墓が築かれています。
彰義隊の墓から北西に少し行ったところに、清水観音堂という建物があります。これは京都の清水寺を模して1631年に建てられたそうで、きちんと”清水の舞台”もあります。
上野公園内にある不忍池。とても広く、多くの人の憩いの場となっています。
清水観音堂からもう少し北に行ったところに、正岡子規記念球場があります。
正岡子規は「野球」の名付け親として有名ですが、子規が東京に住んでいた頃、この上野公園でよく野球をしていたことからこの球場にその名が付いたそうです。
正岡子規記念球場の傍にある子規の碑。子規の歌「春風や まりを投げたき 草の原」が刻まれています。
正岡子規記念球場の西側に小さな丘があり、その上に「大仏パゴタ」と「上野大仏」があります。
上野大仏は正確には顔だけですが、かつてここには大仏があり、その後地震や火災等により損傷したため、今の顔だけが残っているとのことです。
上野大仏の北西側に、金色に輝く上野東照宮があります。
上野公園の中心部にあるこども遊園地の傍に、小松宮彰仁親王の騎馬像が立っています。
小松宮彰仁親王は幕末の皇族でいながら軍人で、新政府軍として戊辰戦争に参戦、その後日清戦争にも参戦した人物だそうです。
小松宮彰仁親王像の傍に、グラント将軍植樹碑というのがひっそりとあります。
グラント将軍はアメリカの元軍人・大統領で、1861年に起きた南北戦争においては総司令官として北軍を勝利に導き、その後大統領を2期務めた後、家族と世界を旅行し、その道中日本に寄った際、ここ上野公園で植樹を行ったそうです。
上野公園の中心部から西側に行ったところに、上野動物園があります。
この上野動物園は1882年に開園した日本で一番古い動物園で、年間入場者数も日本一だそうです。
日本一の動物園だけあって多くの動物が飼育されており、園内はかなり広くモノレールもありますが、ちなみにこの園内のモノレールは日本初のモノレールだそうです。
この上野動物園は1972年の日中国交正常化交渉の際に送られたパンダが有名ですが、ちなみにパンダは現在神戸の王子動物園、和歌山・白浜のアドベンチャーワールドにもいます。
正岡子規記念球場の東側、JR上野駅のすぐ傍に、東京文化会館があります。
この東京文化会館は1961年に建築家・前川國男に建てられた歴史ある建築物です。
東京文化会館の前には、国立西洋美術館があります。
この国立西洋美術館は世界的な建築家であるル・コルビジェが設計し、その後彼の弟子にあたる前川國男らにより実施設計を行い、1959年に完成し、その後ル・コルビュジエの建築作品群として世界文化遺産にも登録されています。
美術館には名前通り西洋の絵画や彫刻などの作品が多く展示されていますが、庭にもロダンの「考える人」や「地獄の門」などの作品が展示されており、こちらは無料で鑑賞することができます(笑)
国立西洋美術館の北側には国立科学博物館があります。この建物は1931年に文科省により建てられたそうで、中の展示品のスケールは大きくて綺麗で、地球や自然の壮大な歴史を学ぶことができます。
国立科学博物館の庭にあるシロナガスクジラの実物大模型。これを見るだけで、中の展示にも期待が膨らみます。
庭には他にも蒸気機関車やロケット用ランチャーも展示されています。
上野公園の中心部にある噴水広場。周りは「上野の森」と言われるだけあり緑が多く、どことなく西洋風で綺麗です。
噴水の奥にある建物は国立博物館です。
野口英世博士像
噴水広場と国立科学博物館の間の木々の合間に、試験管を持った立派な野口英世像が立っています。
上野公園の銅像と言えばやはり西郷隆盛像で、こちらの野口英世像はあまり目立ちません;そもそもなぜこの上野公園にこの人の銅像があるのかはよく分かりませんが;、しかし銅像を見ると、西郷隆盛像に負けないくらい立派でカッコいい完成度です。
公園の噴水広場の西側の木々の間に、ボードワン博士の胸像があります。
ボードワン博士というのは幕末に来日したオランダの軍医で、当時上野戦争で焼け野原になったこの一帯を公園にすべしと提言した人物だそうで、いわば上野公園の父と言える人物だそうです。
ちなみにこのボードワン氏は兄弟で来日し、上野公園の提言をしたのは兄らしいですが、ここにある髭の胸像は弟の胸像でしばらく間違われていたそうで(下の写真は兄の胸像です)、現在この地には正しく弟の胸像が建てられており、この髭の兄の胸像は神戸に移築されたそうです。
ボードワン博士の胸像の北西側に、旧東京音楽学校奏楽堂があります。
この建物は現在の東京芸大音楽学部の前身である東京音楽学校の奏楽堂として1987年に建てられ、日本初の本格的な西洋式の音楽ホールだそうです。
滝廉太郎像
奏楽堂の傍にある滝廉太郎の銅像。滝廉太郎も当時の東京音楽学校に通っていたそうです。