高知城界隈

高知城

 とさでん交通伊野線の高知城前駅から北へ200mほどいくと現存12天守の1つ・高知城があります。高知城の天守閣自体はそれほど大きくないですが、城郭や石垣などがよく残っておりコンパクトながらとても見応えのある城です。

 高知城はもとは戦国時代に四国を平定した長曾我部元親の居城でしたが、関ケ原の戦い後は徳川方の武将・山内一豊が入城し、以後幕末まで山内氏が土佐藩主となり、中でも第15代藩主である山内容堂は、福井藩主・松平春嶽、宇和島藩主・伊達宗城、薩摩藩主・島津斉彬とともに幕末の四賢侯と呼ばれ、坂本龍馬らとともに時代を切り開いていきました。

 高知城は追手門(いわゆる正門であり、他の城の大手門にあたる)から入りますが、ちなみにこの追手門と天守閣が同じ一枚の写真に収められるのはこの高知城だけだそうです。

高知城
高知城

山内一豊公之像

 ちなみに追手門の手前の右手に、初代土佐藩主である山内一豊公のかなり立派な騎馬像があります。

 山内一豊公は愛知の生まれで戦国時代は秀吉や家康に仕え出世を成し遂げ、滋賀の長浜城や静岡の掛川城の城主を経て関ケ原の戦いの後この高知城の城主となりました。

 山内一豊と言えば司馬遼太郎原作で大河ドラマ化もされた「功名が辻」の主人公の1人で、妻の千代の「内助の功」が話のメインであることから一豊がやや頼りない感じで描かれていましたが、この騎馬像はそのイメージを払拭するような勇ましい姿の銅像となっています。

山内一豊公之像
山内一豊公之像

野中兼山先生邸跡

 また追手門の手前には「野中兼山先生邸跡」碑があります。野中兼山という人は江戸時代の土佐藩の家老として土佐の街づくりに尽力した人物だそうです。

板垣退助先生像

 追手門をくぐると広場があり、そこに板垣退助の銅像があります。

 板垣退助は明治時代の政治家として有名ですがもとは土佐藩出身で幕末は志士として活躍し、明治後に自由民権運動の主導者となり内務大臣などを歴任しました。

 この銅像のバックに高知城が見える構図がいい感じです。

板垣退助先生像
板垣退助先生像

 板垣退助像のある場所界隈から天守閣までの道。広くて石垣がかなり立派です。

山内千代像

 上り階段の途中に山内一豊の妻・山内千代の銅像があります。

 山内千代は戦国時代、夫の山内一豊を支え続けた良妻らしく、司馬遼太郎の作品「功名が辻」で有名です。

 その良妻のエピソードの1つとして、お金がない中一豊のためにかなり立派な馬を買い、それが織田信長の目に留まり出世の道が開けたという話がありますが、この千代の横にいる馬はその馬なのでしょうか。

山内千代像
山内千代像

 まだまだ続く天守閣への道。いよいよ天守閣の全貌が見えてきました。

 天守閣の手前にある詰門。

詰門
詰門

 また天守閣の西側には黒鉄門という真黒な門があります。

黒鉄門
黒鉄門

 高知城天守閣。小さめですが現存天守であるだけにかなり味があります。

高知城天守閣
高知城天守閣

 天守閣内部。当時のままで階段も急です。

 天守閣からの眺め。高知市街地が山に囲まれているのがとてもよく分かります。

野村茂久馬像

 なお高知城のふもとの「自由の広場」に、野村茂久馬という人の銅像が立っています。

 この人は明治~昭和期にかけての実業家で、高知県交通や土佐電鉄の事業を興すなど「土佐の交通王」と呼ばれた人物だそうです。

野村茂久馬像
野村茂久馬像

片岡健吉先生の像

 また高知城の南側にある高知県庁の敷地内には片岡健吉という人の銅像があります。この人は高知出身の政治家で明治後板垣退助らと設立した立志社の初代社長や高知県議会の初代議長を務め、その後は国会議員として衆議院議長も務めたそうです。

片岡健吉先生の像
片岡健吉先生の像