墨俣一夜城

 墨俣一夜城は、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討った後、当時の美濃の斎藤氏の居城であった岐阜城(稲葉山城)を攻め落とすため、当時信長の家臣であった木下藤吉郎秀吉が一夜で築いたと言われます。その後秀吉は周知のとおり出世の道を歩み出し、ついには天下統一を果たすまでに至りますが、秀吉は当時ここを拠点にして攻めたことは事実らしいですが、造ったのはあくまで防柵のようなものらしく、ここに一夜で立派な城が築かれたというのは後の作り話だそうです。

墨俣一夜城
墨俣一夜城

 城の周りには、近藤一鴻という人の「わが郷に 城址のこり 太閤忌」と書かれた句碑や、絵馬ばりに吊るされた出世ひょうたんなどがあります。

近藤一鴻の句碑
近藤一鴻の句碑
出世ひょうたん
出世ひょうたん

太閤秀吉出世の泉

 また「太閤秀吉出世の泉」もあります。説明がなく水の言われはよく分かりませんが、とりあえず縁起はよさそうです♪

太閤秀吉出世の泉
太閤秀吉出世の泉

木下藤吉郎秀吉の像

 出世橋を渡った先の城の入口付近に、木下藤吉郎秀吉の像があります。

木下藤吉郎秀吉の像
木下藤吉郎秀吉の像

墨俣一夜城からの上階からの眺め。長良川を挟み、金華山の上にそびえ立つ岐阜城がわずかに見えます。