八重洲~京橋界隈

ヤン・ヨーステンの記念碑

 東京駅八重洲口から日本橋・京橋方面に伸びる八重洲通り。東京駅の中にもありましたが、この通りの真ん中にも、「八重洲」の地名の由来となった 「ヤン・ヨーステン」の碑があります。 江戸時代、オランダとの貿易を盛んにしたその功績は今もなお称えられています。

ヤン・ヨーステンの碑
 ヤン・ヨーステンの記念碑
ヤン・ヨーステンの記念碑

尾台榕堂之碑

 東京駅の八重洲口から八重洲通りを100mほど行ったちょっと南に入ったところに、尾台榕堂の銅像があります。

 尾台榕堂(おだいようどう)というのは幕末に活躍した医者で、この界隈で医療活動を行い、日本漢方医学の基盤を築いた人物だそうです。

尾台榕堂之碑
尾台榕堂之碑

歌川広重住居跡

 ヤン・ヨーステンの記念碑から南東へ200mほど行ったところに、江戸時代の浮世絵師・歌川広重住居跡があります。歌川広重は62歳でその生涯を閉じましたが、ここには死去するまでの10年間住んでいたそうです。

歌川広重住居跡
歌川広重住居跡

京橋の碑

 ヤン・ヨーステンの記念碑から中央通りを銀座方面に300mほど行くと京橋に着きます。昔この界隈は川が流れており、京橋という橋が架かっていたそうです。大阪と東京でたまに同じ地名があり、京橋という地名も東京・大阪の両方にありますが、この地名については大阪のイメージが強い気がします。

京橋の碑
京橋の碑

警察博物館

 京橋にある警察博物館。ピーポ君と白バイがお出迎えしています。

警察博物館
警察博物館

江戸歌舞伎発祥の地

 京橋の碑から道路を隔てた前に、江戸歌舞伎発祥の地碑があります。江戸時代、当時の中村勘三郎がここで歌舞伎を始めたのが江戸歌舞伎の始まりらしいです。

江戸歌舞伎発祥の地
江戸歌舞伎発祥の地

京橋大根河岸青物市場跡の碑

 また江戸歌舞伎発祥の地碑の近くに、京橋大根河岸青物市場跡の碑があります。これも江戸時代、当時この界隈に流れていた京橋川に野菜の売り場が設けられ、その後1935年に築地に市場が移されるまで栄えていたそうです。

京橋大根河岸青物市場跡の碑
京橋大根河岸青物市場跡の碑