虎ノ門・新橋界隈

JR新橋駅

 JR新橋駅と言えば今やサラリーマンの飲み屋街のイメージがありますが、遡れば鉄道発祥の地でもあり、現在「鉄道の父」と言われる薩摩藩出身の井上勝の尽力により、1872年にここ新橋駅から横浜駅まで日本初の鉄道が走りました。

 これに由来し、新橋駅の西側にはSLが置かれ、その広場は「SL広場」と呼ばれています。

鉄道唱歌の碑

 また新橋駅の東側には、D51の機関車の車輪とともに、明治時代の文学者・大和田建樹という人が作詞した「鉄道唱歌」の碑が立っています。

鉄道唱歌の碑
鉄道唱歌の碑

旧新橋駅跡

 新橋駅から東へ150mほど行ったところに、日本初の鉄道の始発駅となった旧新橋駅が復元されており、鉄道歴史展示室になっています。

旧新橋駅跡
旧新橋駅跡

宮崎駿の日テレ大時計

 JR新橋駅から南東へ200mほど行くと日本テレビの社屋があり、その2階の入口にはスタジオジブリの宮崎駿監督がデザインした大きな時計がありました。

宮崎駿の日テレ大時計
宮崎駿の日テレ大時計

江戸時代の仙台藩上屋敷表門跡

 その日本テレビの北側に、「江戸時代の仙台藩上屋敷表門跡」の説明版が立っています。江戸時代、ここには仙台藩上屋敷があったらしく、1702年に赤穂浪士が仇討ちを敢行して泉岳寺へ向かう際、ここ仙台藩上屋敷で仙台粥をいただいたそうです。

江戸時代の仙台藩上屋敷表門跡
江戸時代の仙台藩上屋敷表門跡

虎ノ門記念碑

 新橋駅から外堀通りを霞が関ビル方面に行くと虎ノ門エリアとなり、霞が関ビル前の虎ノ門交差点には虎ノ門記念碑が立っています。

 「虎ノ門」とはもともとここにあった数ある江戸城の門の1つで、「寅」の方角であることからその名が付いたそうです。

 記念碑の上に鎮座している虎が猛々しく咆哮しています。

虎ノ門記念碑
虎ノ門記念碑

江藤新平遭難遺址碑

 虎ノ門交差点の虎ノ門記念碑の反対側の外堀通り沿いに、江藤新平遭難遺址碑が立っています。

 江藤新平は佐賀藩出身の明治時代の政治家で、後に下野し明治政府に対して佐賀の乱を起こした人物ですが、明治維新直後の1869年に、ここで何者かに襲われたそうです。

江藤新平遭難遺址碑
江藤新平遭難遺址碑

溜池発祥の碑

 江藤新平遭難遺址碑からさらに外堀通りを西に500mほど行った首都高の下辺りに、溜池発祥の碑がひっそりと立っています。

 説明によると、江戸時代、この辺りに溜池が作られ、徳川秀忠の時代には上野の不忍池に匹敵するほどの名所だったそうで、現在もこの界隈の地名は「溜池」となっています。

溜池発祥の碑
溜池発祥の碑

虎ノ門金刀比羅宮

 江藤新平遭難遺址碑から南に100mほど行くと、ビルの合間に虎ノ門金刀比羅宮という小さいながらも歴史ある神社があります。

 今ある社殿は1951年に再建されたものらしく、建築家・伊東忠太により設計されたものだそうです。

 また入口にある銅の鳥居の柱には、四方の守護神である青龍、白虎、朱雀、玄武が施されています。

虎ノ門金刀比羅宮
虎ノ門金刀比羅宮

笹川良一の孝子像

 虎ノ門金刀比羅宮から南に300mほど行ったところに日本消防会館があり、その前に「笹川良一の孝子像」があります。

 笹川良一という人は昭和の政治家で、戦後はA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収容されるも後に釈放され、モーターボート事業や様々な慈善活動を行った人物だそうです。このおんぶしている像は笹川良一が59歳の時に母親を背負って金毘羅参りをした時の様子を表しているそうで、競艇場をはじめ日本にいくつか同じ像があります。

笹川良一の孝子像
笹川良一の孝子像

義士洗足の井戸

 また日本消防会館の1階には、義士洗足の井戸跡があります。

 ここは当時仙石伯耆守屋敷があったそうで、大石内蔵助率いる赤穂義士が浅野内匠頭の仇討ちを終え泉岳寺に帰る際ここに立ち寄り、義士の2名をこの屋敷に差し向け自首させたそうです。その際、2名の義士は邸内の井戸で足を洗って屋敷に上がったとのことで、ここにはその様子を表したモニュメントがあります。

義士洗足の井戸
義士洗足の井戸

ホテルオークラ東京

 日本消防会館から南西へ300mほど行くとホテルオークラ東京があり、その中の大倉集古館という美術館の前に、ホテルオークラの創業者である大倉喜八郎氏の銅像があります。

ホテルオークラ東京
ホテルオークラ東京

大倉喜八郎像

 大倉集古館の前にある大倉喜八郎像。大倉喜八郎は新潟出身の実業家で、このホテルオークラの他、帝国ホテルや鹿鳴館の創業、また現在の東京経済大学の前身である大倉商業学校の創立などに関わったそうです。

大倉喜八郎像
大倉喜八郎像

乃木将軍由縁地

 日本消防会館から東へ150mほど行った桜田通り沿いに、乃木将軍由縁地の碑が立っています。

 ここに長州藩出身の当時新婚だった乃木希典将軍が、西南戦争後の1878年から約1年間住んでいたそうです。

乃木将軍由縁地
乃木将軍由縁地

虎ノ門ヒルズ

 乃木将軍由縁地から更に東へ150mほど行ったところに、2014年に森ビルが建設した虎ノ門ヒルズがあり、その下には一部で「マッカーサー道路」と呼ばれる道路が走っています。この道路の正式名称は「環状第2号線」らしく、戦後来日したGHQ総司令官のマッカーサーが建設を命じたと言われることからその呼称が付いているそうですが、実際マッカーサーが命じたかどうかは定かではないそうです。

虎ノ門ヒルズ
虎ノ門ヒルズ

愛宕神社

 虎ノ門ヒルズから内堀通りを南に200mほど行ったところに愛宕山という小高い山があり、その上に愛宕神社があります。

 江戸時代、この愛宕神社からは江戸の街並みが一望できたそうで、幕末の戊辰戦争時、ここで新政府軍の西郷隆盛と幕府軍の勝海舟が会談し、ここから江戸の街並みを眺めたことで江戸を戦火に晒すことをやめ、江戸城無血開城が実現したそうです。

愛宕神社
愛宕神社

桜田烈士愛宕山遺跡碑

 愛宕神社の境内には「桜田烈士愛宕山遺跡碑」が立っています。ここ愛宕神社は、幕末、大老井伊直弼を暗殺した桜田門外の変を起こした水戸浪士の集合場所だったそうです。

桜田烈士愛宕山遺跡碑
桜田烈士愛宕山遺跡碑

青松寺

 愛宕神社から外堀通りを更に300mほど行くと、青松寺という寺があり、この寺の奥に戦時中の英雄・肉弾三勇士の墓があります。

青松寺
青松寺

 青松寺の奥にある庭園。この更に奥に肉弾三勇士の墓があります。

肉弾三勇士の墓

 肉弾三勇士の墓。三勇士とは江下武二(えしたたけじ)、北川丞(きたがわすすむ)、作江伊之助(さくえいのすけ)の3名のことで、1932年の上海事変で敵陣で自爆して突破口を開いた当時英雄とされた人物だそうで、昔はここにその3人の突撃する姿の銅像があったそうですが、今は切り離され、ここには江下武二の銅像だけが残されているそうです。

肉弾三勇士の墓
肉弾三勇士の墓