芝公園

 芝公園の北側エリア。街灯と歩道の先に東京タワーがそびえ立つこの絵はテレビドラマでもよく出てきます。

開拓使仮学校跡

 芝公園の北側エリアにある開拓使仮学校跡碑。碑の説明によるとここにあった開拓使仮学校は北海道大学の前身らしく、北海道開拓の人材を育成するため明治5年(1872年)にこの地に開設されたもので、もともとその後札幌に移し規模も大きくする計画であったことから仮学校と呼ばれたそうです。

開拓使仮学校跡
開拓使仮学校跡

近代初等教育発祥の地碑

 芝公園の北側から日比谷通りを隔てたところに、近代初等教育発祥の地碑が立っています。

明治維新の文明開化期である1873年、当時の東京府内の寺院を仮校舎として6つの小学校が設立され、その第一校が増上寺子院としてこの界隈にあったことからここが近代初等教育発祥の地とされているそうです。

近代初等教育発祥の地碑
近代初等教育発祥の地碑

御成門

 芝公園の中心部にはプリンスホテルがありますが、その敷地内の端に御成門と呼ばれる門があります。

 この界隈はもともと増上寺の敷地としていくつか門が残っており、この御成門もその一つで、元は増上寺の裏門であったのが徳川家がよく出入りするもんであったことから御成門と呼ばれるようになったそうです。

御成門
御成門

有章院霊廟 二天門

 プリンスホテルの敷地内には有章院霊廟の二天門と呼ばれる門もあります。  

 有章院霊廟というのは江戸幕府七代将軍である徳川家継の霊廟で、その門がこの二天門なんだそうです。

有章院霊廟 二天門
有章院霊廟 二天門

増上寺

 芝公園の中心部にある増上寺は、徳川家ゆかりの寺として有名です。

遣米使節記念碑

 増上寺の黒門から日比谷通りを隔てた前に、遣米使節記念碑があります。

 説明によると、1860年、新見豊前守正興一行が日米修好通商条約批准書交換のため竹芝から使節として渡米、その後遣米使節渡航100周年を記念してこの碑ができたそうです。

遣米使節記念碑
遣米使節記念碑

ぺルリ提督像

 遣米使節記念碑の対面にあるぺルリ提督の像。ちなみに遣米使節記念碑とぺルリ提督像がなぜこの芝公園にあるかはよく分かりません;

ぺルリ提督像
ぺルリ提督像

旧台徳院霊廟惣門

 増上寺の南側のエリアには、旧台徳院霊廟惣門と呼ばれる門があります。

 台徳院霊廟というのは江戸幕府二代将軍徳川秀忠の霊廟だそうで、この惣門は修復されたのか、他の御成門・二天門に比べ色鮮やかで綺麗です。

旧台徳院霊廟惣門
旧台徳院霊廟惣門

 旧台徳院霊廟惣門をくぐった先は綺麗に整備されており、水路跡や勅額門跡など、もともと増上寺にあった施設の跡碑が立っています。

芝東照宮

 旧台徳院霊廟惣門の南側には芝東照宮があります。この東照宮は徳川家康の死後日本に創建されたいくつかの東照宮のうちの一つで、小さいながらも煌びやかな装飾が施されています。

芝東照宮
芝東照宮

大野伴睦句碑

 芝東照宮の南側は芝丸山古墳というこんもりとした古墳があり、その近くに猛々しい虎の像があります。

 この台座に大野伴睦(ばんぼく)という明治~昭和期の政治家の句碑が刻まれており、「鐘が鳴る春のあけぼのの増上寺」と書かれています。ただこの大野伴睦と虎の関係はよく分かりません;

大野伴睦句碑
大野伴睦句碑

伊能忠敬測地遺功表

 芝東照宮の横の小高い丘には伊能忠敬測地遺功表が立っています。

 この碑は伊能忠敬の測量の起点となったのが芝公園近くの高輪の大木戸であったことから、東京地学協会がその功績を顕彰して建てたそうです。

伊能忠敬測地遺功表
伊能忠敬測地遺功表