東京駅前は丸の内と呼ばれ、高層ビルが立ち並び結構なオフィス街である一方、レトロな建物もたくさんあってとっても オシャレ。歩いているだけで気分はすっかり丸の内OLです。
東京駅の丸の内広場に、井上勝という人の銅像が立っています。
井上勝は長州藩出身の明治期の政治家で、鉄道庁長官として日本の鉄道の敷設に尽力し、「鉄道の父」と呼ばれているそうです。
東京駅の北口近くに、「丸の内鉄道橋記念塔」と称された一本の古い柱が建っています。読むと昔東京・神田駅間の外濠(日本橋川)に現在も 架かっている鉄道橋の一部なんだそうです。説明碑には「外国からの輸入技術を脱皮し、ようやく日本人の技術が開花した代表的な橋梁」と記されています。
こちらは東京駅中央口の南側にある東京中央郵便局。1933年に立地し、その後再開発計画により2012年に建物の上に「JPタワー」なるビルが 増築されました。
東京駅周辺は、下部や正面玄関に古い建物のものを残しその上に近代的な高層ビルが上乗せされる、いわゆる 「ファザード建築」と呼ばれる建築形態がとても多いです。
東京駅丸の内口北側にある日本工業倶楽部会館。1921年完成。「日本工業倶楽部」というのは当時の日本の工業の発展のために組織されたそうですが、 その名前がいかにも当時っぽくて良いです。
日本工業倶楽部会館の近くにある東京銀行協会ビル。こちらもファザード建築です。下の古い建築物は1916年に竣工された、その名も「銀行倶楽部」という組織の 建物だったそうです。工業倶楽部に並び、いかにもって感じですね。
こちらは中央郵便局の南西側にある三菱一号館美術館。設計者は日本の文明開化後に数多くの洋風建築物を築いたイギリス人建築家・ジョサイア・コンドル。1894年に竣工されましたが1968年に一度解体、その後2010年に美術館として復活し現在に至ります。ちなみに東京駅を設計した辰野金吾は、ジョサイア・コンドルの弟子だそうです。
こちらは三菱一号館の隣の、皇居お堀沿いにあるギリシャの神殿のような建物は明治生命館。1934年竣工で、設計者は歌舞伎座等を手掛けた岡田信一郎。戦後すぐ、GHQの本部が置かれた 場所としても有名です。
ちなみにこの建物は明治生命のオフィスとして現役でも活躍中ですが、内部は歴史的価値の大きい部屋や文化財が多く残っていることから、土日に内部の見学が 無料で可能です。
てっぺんに葉っぱの装飾のある細い柱が並ぶ様式は、ギリシャ建築のうち「コリント式」というそーな。
明治生命館の内部。
明治生命館の他、東京駅側のお堀沿いには第一生命ビルや帝国劇場等、ごつい建物が整然と並んでいます。前の道もとても広いです。
そんなオフィス街に、平将門の首塚、通称“将門塚”があります。もともとここには平将門ゆかりの神田明神があった関係でここに首塚が残っているんだとか。 ちなみに平将門の首塚は全国にいくつかあるらしく、なかなかミステリアスです。
また将門塚から北西に300mほど行った皇居のお堀沿いに、和気清麻呂像があります。
この和気清麻呂という人は奈良時代の政治家で平安京などの建設を行ったそうですが、当時の派閥争いの戦いで天皇に忠誠を尽くしたことからここに銅像が立っているそうです。
一橋徳川家屋敷跡
和気清麻呂像から北西へ150mほどいった平川門交差点の北側に、一橋徳川家屋敷跡の碑があります。
一橋徳川家は後に徳川幕府最後の将軍となる徳川慶喜が、水戸徳川家から養子に入った家です。
一橋徳川家屋敷跡の向かい側に、結構奇抜で大きな建物があります。これはパレスサイドビルディングという名前だそうで、主に毎日新聞社の本社が入っています。2つの大きな長方形の建物と円柱がずれて重なったようなユニークな外観をしていて、なかなか見応えのある建築物です。
パレスサイドビルディングの傍にある交番。警官の帽子のフォルムをしていて場所に似合わずかわいい感じです(笑)
一方こちらは駅舎のある丸の内口側とは逆側の東京駅八重洲口。広場の石垣は江戸城外壁のものだそうです。
ちなみに八重洲エリアは千代田区ではなく中央区になります。
東京駅の八重洲口から北へ500mほど行った川沿いに、常盤橋公園という公園があり、そこに渋沢栄一の銅像があります。
常盤橋公園の近くに架かる常盤橋。ここにかつては江戸城の城門の1つである常盤橋門があったそうです。
常盤橋公園に立つ渋沢栄一像。渋沢栄一は幕末、埼玉県の深谷市出身ながら徳川慶喜の家臣として仕え、明治維新後は大蔵省に入省しましたが後に民間の世界に入り、その後みずほ銀行の前身となる第一国立銀行や東京証券取引所などを設立し、「日本資本主義の父」と呼ばれるようになりました。