靖国神社

 靖国神社は1869年に建てられ、幕末の1853年以降の戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの国難に際して国に殉じた軍人や警察官などを祀っています。

大村益次郎像

 神社の入口の大鳥居をくぐってしばらく歩くとある大村益次郎像。大村益次郎は長州藩の出身で幕末におきた戊辰戦争時の新政府軍の総司令官で、近代日本陸軍の創設者とも言われており、この靖国神社の創建に尽力したことから、1893年にここに銅像が建てられたそうで、この銅像は日本初の西洋式銅像だそうです。

大村益次郎像
大村益次郎像

 大村益次郎像から神門・拝殿までの道。

 靖国神社の第2鳥居の両サイドにある大燈籠には日清戦争~満州事変の際の日本軍の戦闘の様子を描いたレリーフが埋め込まれており、向かって右側の方が海軍、左側の方が陸軍になっているそうです。

 第2鳥居をくぐった先にある神門。扉には大きな菊紋が描かれています。

神門
神門

拝殿

 神門の奥にある拝殿。厳かです。拝殿のさらに奥に本殿があります。

拝殿
拝殿

鎮霊社、元宮

 拝殿・本殿の敷地内に向かって左側の目立たないところに、鎮霊社と元宮という2つの小さな祠があります。

 鎮霊社というのは靖国神社に合祀されない国内・諸外国の人々を慰霊するために建てられたもので、元宮というのは明治維新の際に斃れた志士の霊を祀るため建てられたものだそうです。元宮はもともと京都にありましたが、1931年にここに移され、靖国神社の前身となったことから「元宮」と名付けられているとのことです。

 ちなみにここにはある時期から入れなくなっており、下の写真は遠くから撮影したものです。

鎮霊社、元宮
鎮霊社、元宮

遊就館

 また鎮霊社・元宮の反対側の右側には、日本の戦史や遺品、祀られている人物について紹介した遊就館という建物があり、実物大のゼロ戦なども展示されています。

 また遊就館の周りには様々な碑や像が立っています。

遊就館
遊就館

鋼製三十封度船用加農砲

 遊就館の傍にある「鋼製三十封度船用加農砲」。これは幕末に日露和親条約締結交渉のために下田に来日したロシア軍艦ディアナ号の大砲らしく、ロシアからプレゼントされたものだそうです。「封度」は「ポンド」、「加農砲」は「キャノン砲」と読むらしいです。

鋼製三十封度船用加農砲
鋼製三十封度船用加農砲

パール博士顕彰碑

 遊就館前にはパール博士顕彰碑も。パール博士というのは大東亜戦争後に日本を裁くため連合軍により行われた東京裁判におけるインド代表判事で、裁判官の中でただ一人日本人の全員無罪を主張した人物です。

 碑には「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ 正義の女神はその秤を平衡に保ちながら  過去の 賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう」と書かれています。

パール博士顕彰碑
パール博士顕彰碑

神道無念流練兵館跡

 神社の南門付近に、神道無念流練兵館跡の碑があります。

 練兵館は北辰一刀流の玄武館、鏡新明智流の士学館とともに幕末の江戸の三大道場の1つで、長州藩の高杉晋作や桂小五郎、品川弥二郎などがここで剣術を磨いたそうです。

神道無念流練兵館跡
神道無念流練兵館跡

海軍経理学校正門敷石

 練兵館跡碑付近には明治時代にあったとされる海軍経理学校の正門の敷石もあります。

海軍経理学校正門敷石
海軍経理学校正門敷石

神池庭園

 なおあまり目立ちませんが、靖国神社の奥、本殿等の後ろには神池庭園という日本庭園のほか洗心亭や行雲亭などの茶室もあり、またその横には相撲の土俵もあります。

神池庭園
神池庭園