こちらは東京駅丸の内側南口の入口。ここも2012年に改装され、当時の姿に復元されました。
上のドームの内側はヨーロッパ風でとっても優雅。 よく見ると12支やワシが彫刻されています。北口も同じデザインです。
100年ほど前にすでにこのデザインが出来上がっていたなんて、当時の東京駅は 本当にオシャレだったんですね。
そして構内へ。さすが日本の首都にある東京駅は広くて人も多く、歴史も古いですが、それだけに面白い見所も多く、ここだけで1日が潰れます。
こちらは東京駅の地下に飾られている蒸気機関車の一部。
戦後の東京駅が修復された1948年にこの蒸気機関車が誕生し、日本復興のエースとして 東海道・山陽・函館本線まで駆け巡ったそうです。
機関車は1971年に解体されたとのことですが、その歴史を称え、国鉄100周年の1970年に完成した この東京駅の地下に、その一部を現在に続くまで飾っているとのことです。
駅の丸の内口側の反対の八重洲口側にある地下を歩いていると、某外国人の胸像(頭像?)を目にしました。
解説を読んでみますと、「ヤン・ヨーステン」という人のものだそうで、ここ「八重洲」の地名の由来ともなった人だそうです。
このヤン・ヨーステンという人はオランダ人の航海士で、同じく航海士のイングランド人のウィリアム・アダムス(三浦安針)らと共に1600年に日本に 漂流してきたそうです。
その後ヤン・ヨーステンは当時の江戸幕府将軍であった徳川家康の通訳として重宝され、この辺りに屋敷を構えていたとのことです。
通訳として以外にも、造船や日本とオランダとの貿易の発展に尽力したというヨーステン。オランダとの貿易は、その後1639年に日本が鎖国を始めた後も続くこととなります。
東京駅はJRの全路線の起点となるため、その起点を表す「ゼロキロポスト」が、各路線のホームにあります。
他の電車のものに比べ、東京駅のゼロキロポストのデザインは凝られているらしく、鉄道ファン必見のスポットとなっているらしいです。
また新幹線のホームには、新幹線のゼロキロポストと言える「新幹線の起点」があります。写真は東海道新幹線のホームにある新幹線起点ですが、全く存在感はありません(笑)
こちらは東北新幹線の起点です。東海道新幹線より新しいだけあり、大理石風で英語で「0km POINT」と書いています。
東海道新幹線の18番線・19番線ホームの下に、東海道新幹線完成のプレートがあります。
プレートには「この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と書かれています。このシンプルさに力強さが感じられます。
東京駅の18・19番線のホームには、十河信二氏の記念碑がひっそりとあります。
この人は元国鉄の総裁で、東海道新幹線建設に尽力した人物であり、「新幹線の父」と 言われています。戦後の復興期、新幹線を建設することは非常に大変だったらしいです。
その後の高度経済成長期を支え、今もなお日本の大動脈であり続ける 新幹線があるのは、この人がいたからこそだということですね。
あまり知られていませんが、5番線(山手線)・6番線(京浜東北線)のホームの一部が、古いもののかすかに洋風になっているところがあります。これは東京駅の開業当初の名残りだそうで、少しオリエント風になっています。意図的かどうかは不明ですが、こういうのを残すのはなかなか粋ですね。
また東京駅は、古くから首都・東京のメインステーションであっただけに、幾度か古く歴史の舞台ともなっており、二人の首相の“遭難現場”となっています。
大正時代の1921年、東京駅の丸の内南口で、当時の原敬首相が刺され死亡するという事件がありました。
原敬首相は第19代内閣総理大臣で、京都に行くため この丸の内南口の改札から入ろうとしたところ、原首相の政策に不満を抱いていたある青年に刺されたとのことです。
南口の切符売り場の近くに、 「原首相遭難現場」の地点のその説明のプレートがあります。
そして昭和に入った1930年には、第27代内閣総理大臣であった高知出身のライオン宰相こと浜口雄幸首相が、右翼活動家の青年に銃撃されました。
ここ東京駅から岡山に行くため、神戸行きの 特急「つばめ」に乗るところだったと言われています。浜口首相はその後の応急処置により一命をとりとめましたが、その傷がもととなり翌年に死去しました。駅構内の在来線から新幹線改札口へ向かう場所に、その遭難現場の地点と説明のプレートがあります。