北の丸公園の西側に、千鳥ヶ淵という堀を挟んで、千鳥ヶ淵戦没者墓苑があります。
ここは第二次世界大戦の戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡すことができなかった遺骨を安置した墓苑で、同じく戦争で亡くなった軍人を祀った靖国神社と度々比較されます。
塙検校和学講談所跡
靖国神社から靖国通りを挟んで南に100mほど行った東京家政学院大の近くに、塙検校和学講談所跡の説明版があります。
この和学講談所というのは江戸時代中頃の1793年に塙保己一(はなわほきいち)という国学者によって創立された和学の研究・教育機関だそうで、この塙保己一という人は水戸藩から依頼された大日本史の校正なども行っていたそうです。
東京家政学院大学の西側にある公園は東郷元帥記念公園で、ここにはもともと日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った時の連合艦隊司令長官であった東郷平八郎元帥の私邸があったそうで、公園内には東郷邸にあったライオン像もあります。
東郷公園の傍の坂は東郷坂と名付けられています。
滝廉太郎居住地跡
千鳥ヶ淵戦没者墓苑から西へ500mほど行ったところに、滝廉太郎居住地跡の碑があります。
大分から音楽学校入学のために上京してきた滝廉太郎は、15歳から22歳までここで過ごしたらしく、「荒城の月」「箱根八里」「鳩ぽっぽ」など今も残る滝廉太郎の多くの名曲はここで生まれたそうです。
千鳥ケ淵戦没者墓苑から南に300mほど行くと、駐日英国大使館があります。日本にある大使館は赤坂~六本木辺りに多いですが、イギリスの大使館はここにあり、かなり立派な建物です。
サトウ公使植桜の地
英国大使館の前の茂みに、「サトウ公使植桜の地」の説明版が立っています。1898年、当時の英国公使・アーネスト・サトウがここに桜の木を植えたことから、その後この辺りに多くの桜の木が植えられるようになったそうです。