九段界隈

靖国通り

 靖国神社と北の丸公園の間を走っている大きな通りが靖国通りで、写真の左側の長い壁は靖国神社の壁です。

靖国通り
靖国通り

九段会館

 東京メトロ東西線の九段下駅の南側に、九段会館という中華風の建物があります。

 この建物はもともと1934年に軍人会館として建てられ、主に軍人の訓練や宿泊施設として利用されていたらしく、戦後はGHQの進駐軍の宿舎となったのを経て、現在は民間の施設としてレストランや式場・宿泊施設として利用されているそうです。

 お城のような中華風のような外観は、何となく愛知県庁と似ています。

九段会館
九段会館

蕃書調所跡

 九段会館の横の昭和館という建物の前に、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)跡の説明版があります。

 この蕃書調所というのは、幕末、洋学の必要性を感じた幕府が設立した教育機関で、当時アメリカ帰りの勝海舟が蕃書調所頭取助という役職に就き、長州藩出身の新政府軍総司令官であった大村益次郎などがここで教えていたそうです。

 ちなみに蕃書調所は現在の東京大学の前身機関の1つだそうです。

蕃書調所跡
蕃書調所跡

大隈重信候 雉橋邸跡

 九段会館から道を隔てた南東側、千代田区役所前に、大隈重信候 雉橋(きじばし)邸跡の碑が立っています。

 大隈重信は2度内閣総理大臣を務め、早稲田大学を開学したことで有名ですが、1876~1884年にここに邸宅を構えていたそうです(雉橋というのはこの近くにある橋の名前です)。

 この碑は早稲田大学が立てたらしく、早稲田大学の時計塔を模したかたちとなっています。

大隈重信候 雉橋邸跡
大隈重信候 雉橋邸跡

 靖国神社の入口から靖国通りを挟んだ南側、北の丸公園の入口である田安門の付近に、高燈篭(常燈明台)、品川弥二郎像、大山巌像が並んでいます。

高燈篭(常燈明台)

 洋風のオシャレな灯台のようなこの建物は高燈篭(たかどうろう)と呼ばれ、靖国神社正面の常夜灯として1871年に建てられたらしく、当時は灯台の役目も果たしていたらしいです。以前は別の場所に立っていましたが、1930年に今の位置に移設されたそうです。

高燈篭(常燈明台)
高燈篭(常燈明台)

品川弥二郎像

 高燈篭の横にある品川弥二郎像。この人はもともと長州藩出身の幕末の志士で、維新後は第1次松方内閣で内務大臣を務めたらしいです。

品川弥二郎像
品川弥二郎像

大山巌像

 品川弥二郎像の更に横にあるのが大山巌の騎馬像。この人は薩摩藩出身の明治~大正期の政治家・軍人で、第2代大警視や初代陸軍大臣などの要職を歴任した人物だそうで、ちなみに西郷隆盛の従兄弟にあたるそうです。

大山巌像
大山巌像

靖国神社

 そして靖国通り沿いにある大きな敷地の神社が、何かと話題になる靖国神社です。

アーネスト・サトウ旧宅跡地

 靖国神社と法政大学の間の道沿いに、アーネスト・サトウ旧宅跡地の碑があります。

 アーネスト・サトウは幕末に来日したイギリスの外交官で、当時イギリス公使館の通訳として薩摩藩や長州藩と交流を持っていたそうで、碑には「明治開国の立役者であり日本近代化の恩人」と書かれています。

アーネスト・サトウ旧宅跡地
アーネスト・サトウ旧宅跡地