銀座界隈

 日本一地価の高い街・銀座。ブランド店や高級クラブが犇めいているイメージですが、意外と庶民的な飲み屋とかも多いです。

 そしてこれまた意外と歴史的建築物や史跡も多く、そういう意味でも”銀ブラ”は楽しいです。

 とある銀座の街角には覗き見している天使が。

和光ビル

 銀座の中心の交差点にある和光ビル。銀座と言えば和光ビルというくらい銀座を象徴するこの建物は、1932年に今のセイコーの前身である服部時計店として建築家・渡辺仁によって建てられ、今もセイコーグループの和光株式会社が入っています(時計台の時計もセイコーです。)。

和光ビル
和光ビル

銀座プレイス

 和光ビルの交差点の斜め向かいには銀座プレイスというユニークな外観の建物が。ここにはかつてソニービルという建物がありましたが、2016年からこの銀座プレイスがオープンしています。

銀座プレイス
銀座プレイス

銀恋の碑

 銀座界隈と有楽町界隈の間にある外堀通りの宝くじ売り場に、「銀恋の碑」があります。これは1962年に公開された石原裕次郎主演の映画「銀座の恋の物語」の同名の主題歌の歌碑だそうです。

 なおこの「銀恋の碑」の傍には「銀座の象徴・柳並木」碑、「京橋奨兵義會忠魂碑之跡」碑が並んでいます。

銀恋の碑
銀恋の碑
 銀恋の碑、銀座の象徴・柳並木碑、京橋奨兵義會忠魂碑之跡碑
銀恋の碑、銀座の象徴・柳並木碑、京橋奨兵義會忠魂碑之跡碑

数寄屋橋公園

 銀恋の碑辺りから西へ交差点を渡ると、数寄屋橋公園があります。かつてここには数寄屋橋という橋が架かっていたそうです。

数寄屋橋公園
数寄屋橋公園

数寄屋橋の碑

 数寄屋橋公園には数寄屋橋の碑が。数寄屋橋は菊田一夫原作の「君の名は」の舞台となっており、碑にはその原作者である菊田一夫により「数寄屋橋此処にありき」と刻まれています。

数寄屋橋の碑
数寄屋橋の碑

若い時計台

 また数寄屋橋公園には岡本太郎の作品「若い時計台」もあります。

若い時計台
若い時計台

泰明小学校

 数寄屋橋公園の横には泰明小学校があります。この泰明小学校の歴史は古く、その校舎は都の歴史的建造物にも選ばれています。またかなりの名門らしく、最近ではアルマーニの制服を採用したことで話題にもなりました。

泰明小学校
泰明小学校

島崎藤村・北村透谷記念碑

 泰明小学校前には「島崎藤村 北村透谷 幼き日 ここに学ぶ」と刻まれた記念碑があります。

島崎藤村・北村透谷記念碑
島崎藤村・北村透谷記念碑

みゆき通り

 泰明小学校前の通りはみゆき通りと呼ばれ、明治天皇が宮城より海軍兵学校に御行幸された折にお通りになられたことからその名が付いたそうです。

みゆき通り
みゆき通り

真珠王記念碑

 和光ビルから中央通りを東京駅方面へ50mほど行くと真珠で有名なミキモトの本社があり、その前にミキモトの創業者である御木本幸吉を称えた真珠王記念碑が立っています。

真珠王記念碑
真珠王記念碑

銀座発祥の地碑

 中央通りのティファニー前に、銀座発祥の地碑が立っています。1612年に徳川幕府がこの地に貨幣鋳造のための役所を設置したことにより、この界隈が銀座という地名になったそうです。

銀座発祥の地碑
銀座発祥の地碑

商法講習所

 中央通りの銀座5丁目・6丁目の間に、商法講習所の碑があります。商法講習所は元薩摩藩士で初代文部大臣を務めた森阿礼が創設した商業学校で、今の一橋大学の前身だそうです。

商法講習所
商法講習所

石川啄木歌碑

 並木通りの銀座5丁目・6丁目の間に、石川啄木歌碑があります。

 石川啄木は27歳でこの世を去りましたが、亡くなる前の1909~1912年の3年間はここにあった朝日新聞社に勤務していたことからこの地にこの碑が立ったそうで、碑には啄木の歌「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」が刻まれています。

石川啄木歌碑
石川啄木歌碑

芝口御門跡

 商法講習所跡から中央通りを新橋方面に300mほど行った御門通り沿いに、芝口御門跡があります。江戸幕府時代の1710年に朝鮮の聘使(へいし)の来朝に備え、ここに城門が建設されたそうです。

芝口御門跡
芝口御門跡

金春屋敷跡

 芝口御門跡から御門通り沿いに西へ100mほど行ったところに、金春屋敷跡があります。

 金春(こんぱる)というのは安土桃山時代に秀吉にも寵愛された能役者の家系で、この界隈に屋敷があったことから子の案内板が立っています。近辺には金春通りや金春湯などがあります。

金春屋敷跡
金春屋敷跡

静岡新聞・静岡放送東京支社ビル

 金春屋敷跡から御門通り沿いに更に西に行くと、一風変わった建物が建っています。これは静岡新聞・静岡放送東京支社ビルで、1967年に丹下健三によって建てられました。

静岡新聞・静岡放送東京支社ビル
静岡新聞・静岡放送東京支社ビル

中銀カプセルタワービル

 芝口御門跡から静岡新聞・静岡放送東京支社ビルとは反対側に、御門通り沿いに400mほど南に行くと、更に?一風変わった建物があります。これは1972年に黒川紀章により建てられた中銀カプセルタワービルで、世界初のカプセル型のマンションらしいです。

 今見ても斬新なので、当時はかなり近未来的でインパクトがあったと思われますが、今はかなり老朽化して使われておらず、建物の保存問題に揺れているそうです。

中銀カプセルタワービル
中銀カプセルタワービル

歌舞伎座

 銀座中心部を貫く晴海通りの東銀座駅の上に歌舞伎座があります。

 この歌舞伎座は1889年に建てられ開業しましたが、その後老朽化により何度か建て替えられ、今の歌舞伎座は後方の歌舞伎座ビルとともに2013年に建て替えられたものです。

 改築後の建物は白くて綺麗ですが迫力もあり、伝統芸能・歌舞伎の威厳もそのまま受け継がれているようです。

歌舞伎座
歌舞伎座

狩野画塾跡

 歌舞伎座から信号を渡って昭和通り沿いに150mほど歩いていくと、狩野画塾跡があります。

狩野探幽をはじめとした狩野家は江戸時代に活躍した絵師の家系で、ここにその塾があったそうです。

狩野画塾跡
狩野画塾跡

佐久間象山塾跡

 狩野画塾跡の道を隔てた向かい側に、佐久間象山塾跡の説明版があります。

 佐久間象山は幕末の松代藩の思想家で、西洋砲術や蘭学にも詳しく、その知識を志士らに伝授すべくここに塾を開いていたそうで、その門下には吉田松陰、勝海舟、橋本佐内、河合継之助、坂本龍馬ら錚々たるメンツが集まっていたそうです。

佐久間象山塾跡
佐久間象山塾跡

新橋演舞場

 狩野画塾跡から南へ200mほど行ったところにある新橋演舞場。

新橋演舞場
新橋演舞場

海軍兵学寮・海軍軍医学校跡

 新橋演舞場から采女橋を渡った国立がんセンター中央病院の敷地内に、海軍兵学寮・海軍軍医学校跡があります。

 この海軍兵学寮は明治4年にできた後、5年後に海軍兵学校に改称され、先に出てきた明治天皇、また日露戦争で活躍した秋山真之らがこの海軍兵学校に通っていたそうです。

海軍兵学寮・海軍軍医学校跡
海軍兵学寮・海軍軍医学校跡

早川徳次像

 なお東京メトロ・銀座駅の構内に、地下鉄の父と呼ばれる早川徳次の胸像があります。

 早川徳次は山梨の生まれで、南満州鉄道や鉄道局を経てロンドンに視察に行った際、地下鉄の存在に衝撃を受けて、ここ東京にも地下鉄が必要と考え、1927年に日本初となる地下鉄を、銀座~浅草間で走らせたそうです。

 ちなみにシャープペンシルの開発者でシャープの創業者である早川徳次は同姓同名の別人なんだそうです。

早川徳次像
早川徳次像