築地界隈

名犬チロリ記念碑

 東銀座の歌舞伎座から晴海通りを築地方面へ100mほど行った万年橋の中央に、名犬チロリ記念碑があります。

 この「名犬チロリ」というのはもともとは殺傷処分寸前だったところを助けられ、その後多くの高齢者や障がい者の方に貢献したセラピードック第1号の犬らしいです。

名犬チロリ記念碑
名犬チロリ記念碑

築地本願寺

 名犬チロリ記念碑から晴海通りを更に築地方面に300mほど進むとあるインド風の一風変わった大きな建物が、築地本願寺です。

桂川甫周屋敷跡

 築地本願寺の近くにある東京メトロ日比谷線の築地駅から北へ150mほど行った三菱UFJ銀行前に、桂川甫周屋敷跡の案内板があります。 

 桂川甫周というのは江戸時代の医師で、杉田玄白らに蘭学を学ぶなどし、江戸蘭学の発展に大きく寄与したそうです。

桂川甫周屋敷跡
桂川甫周屋敷跡

築地市場

 築地本願寺から西へ200mほど行くと、移転問題に揺れる東京の台所・築地市場があります。

築地場外市場

 築地市場の外側には「築地場外市場」と呼ばれ、こちらにも多くの寿司屋や海鮮丼の店がある他美味しい卵焼き屋の店もあり、ちなみにテリー伊藤氏の実家の卵焼き屋さんもこの築地場外市場にあります(笑)

築地場外市場
築地場外市場

浴恩園跡

 築地市場の中央市場前交差点側の入口付近の壁に、浴恩園跡の案内板があります。

 浴恩園というのは江戸時代後期の寛政の改革で有名な松平定信の屋敷に作られた庭園だそうで、当時はこの一帯に広がっていたそうです。

 しかし明治維新後は海軍関係の用地となり、その後関東大震災で被害を受けた後に、日本橋にあった魚市場がこの地に移転し、現在の築地市場ができたそうです。

浴恩園跡
浴恩園跡

波除神社

 築地市場の東側の入口付近に、波除神社という築地市場ゆかりの神社があります。

八紘一宇の碑

 築地本願寺から晴海通りを渡った反対側に、「八紘一宇」と書かれた碑があります。

 周りに特に何の案内板もありませんが(笑)、「八紘一宇」は戦時中に大日本帝国軍のスローガンとして用いられていた言葉であり、おそらく明治期以降この界隈に海軍関係の施設が多くあったことからその碑がここにあると推測されます。

八紘一宇の碑
八紘一宇の碑

軍艦操練所跡

 八紘一宇の碑から晴海通りを更に隅田川の方へ150mほど行くと、軍艦操練所跡の案内板が立っています。

 幕末、ペリー来航により西洋式海軍の必要性に迫られた幕府がここに講武所を創設し、1860年に講武所が神田小川町に移転後、ここに軍艦操練所のみが残り、勝海舟らが頭取を務めたそうです。

軍艦操練所跡
軍艦操練所跡

海軍経理学校の碑

 晴海通りを隅田川まで行くと勝鬨橋という白い橋があり、その手前にある「橋の資料館」の前に海軍経理学校の碑があります。この海軍経理学校も、明治期に設立された海軍関係の施設の1つです。

海軍経理学校の碑
海軍経理学校の碑

勝鬨橋

 晴海通りを進むと隅田川に架かる勝鬨橋。この橋は実は船を通すために中央で開閉する可動式の橋として1940年に完成し、開通直後は都電も走っていたそうですが、次第に橋を通る車の交通量が増加したことにより、1970年以降は開閉していないそうです。

 一度は開閉している姿を見てみたいものですが、今動かそうとすると多額の経費を要するため実現できないそうです。

 ちなみにこち亀の71巻に収録されている「勝鬨橋ひらけの巻」は、数あるこち亀の話の中でも名作の1つとされています(笑)

勝鬨橋
勝鬨橋